持続可能な限界集落はできるのか?

3世帯7人の限界集落【蛤浜】
そもそも拠点にしている場所が4箇所ほどあるのですが、そのうちの一つが宮城県石巻市の牡鹿半島にある小さな漁村の蛤浜という場所です。
この浜出身の亀山貴一(かめ)に出逢わなければ、石巻に10年も居なかったと思います。御縁でずっと蛤浜を気にかけてくれている郡言堂さんが彼の事をまとめてくれていたので気になる方はこちらをどうぞ。
亀山との出会いは2012年6月。
当時の僕は、1年近く貯金を切り崩しながら平日バイト・週末ボランティアという形で任意団体「NEXT石巻」で活動していました。元々、同じNPOで活動していた今村(ねぎ)と芳野(きょん)とで石巻出身のアーティスト天野由紀を支援する小さなチーム。
手づくり市nomakiというマルシェを開きクリエイターの表現の場所を創ったり、

手づくり市
石巻商店街のシャッターに絵を描くサポートしたり。

シャッターアート
表向きは華やかだが、裏ではお腹減るから休みの日はじっと引きこもってたりして、空腹削減に努めてましたw
この頃が人生で一番ひもじい思いで生活していたかもしれません。
そんな中、我々に半ば強引に我々にコンタクトを取ってきた亀山。
まずはリーダーでもある今村が一人で相談にのりました。
話を聞いてきたが如何せん規模がでかい。まともにやったら数千万数億かかる。どこの支援も受けてない小さな任意団体の出る幕じゃないなと、断る気満々で話を共有されました。
が、
そこでなんか火がついたんですよね。
こんなん見せられたら、とりあえず行ってみようぜってなりません?
百聞は一見にしかず。すぐさま蛤浜へ向かいました。
亀山に当時の話を聞くと、行政・団体・友達。どこの誰よりも反応が悪くかった我々が一番行動が早かったらしいですw
1年経っても低平地は津波の瓦礫だらけ、高台のある家々は津波は免れたものの、夏の台風による土砂崩れで、隣の家は全壊し亀山邸の裏は腰くらいまで埋まり、まさに泣きっ面に蜂状態。イメージとはかけ離れた状態でした。

災害直後

亀山邸

亀山邸

腰まで埋まった状態
そう判断し下見した日の週末には、関東の友達にも声をかけ泥かきをスタート。
2012年6月
2世帯住民5人の限界集落で「蛤浜再生プロジェクト」が動き始めました。

蛤浜再生プロジェクト開始前にパチリ