限界集落での挑戦。公務員から個人事業そして法人設立
毎週末、仲間を集め泥かきと瓦礫の撤去をやっていたら、2ヶ月ほどであっという間に終わりました。
どかした土砂の量なんと35t超。
その頃だろうか。これからの事の作戦会議をしていた時
なんて口にするので
死んであの世で奥さんに会った時に
蛤浜がこんなに素敵な場所になったよ
って冥土の土産に持ってこうよ
いつも大きな決断は勢い。
当時、 亀山は高校の教員。
もちろん公務員が事業をできるはずもないですよね。なので僕が事業主として復興庁の起業支援プログラムに参加し支援金を元手にカフェをつくろうという作戦を立てました。
1ヶ月間のカリキュラムを受け、プログラムの中ではいい講評ももらっていたものの、最後の採択で
結果【蛤浜での起業は対費用効果がない】と判断され却下。
世の中甘くはないと実感した瞬間でした。すぐにB案を考え体育会系のなにくそ根性でプランを再構築。
苦肉の策で考えたこの案が、結果的に功を奏し、カフェの集客にも繋がりました。みんな自分たちが手伝った場所や出来上がったカフェの雰囲気が我が子のように気になってしまうようで完成した後に足を運んでくれました。
オープンの2013年3月11日。発起人である亀山は教員を辞め、一人の経営者としてそこに居ました。教員と、板前の魚谷・パン職人の芳野・クレーンオペレーターの自分。
震災で瓦礫だらけ、飲食店の「い」の字もないメンバーで限界集落でのカフェ経営。潰れそうな臭いがプンプンしますね?普通は(笑)
今思うと、逆に普通のカフェだったらもう潰れていたかもしれない。。。
さらにご縁があり、僕はカフェオープンと同時にNPO法人ETIC.の右腕として1年間の任期付きで蛤浜の再生に携わる事になった。主な活動としては、浜の整備や建築、ボランティア・CSR・CSV・インターンなどのコーディネート、住民の困りごと解決、カフェ補佐、SNS発信、写真・映像…cte…。まさに何でも屋の原点。
狩猟もこの頃から始めました。きっかけは、住民のおじいさんが大事に育てた野菜を食べられ悩んでいた事です。実際狩猟の世界へ入ってみると、獣害という側面だけじゃなく、原因や環境・現状を知り、有害動物として獲って廃棄するのではなく、資源として活用していこうと動き始めました。
2015年 年間15,000人が訪れるようになったはまぐり堂は
【教育】【暮らし】【産業】の3本柱を掲げ
より公益・広域的に活動する為、個人事業「cafeはまぐり堂」から一般社団法人はまのねを立ち上げまちづくりや自然環境、地方創生に力を注ぎ現在も活動しています。